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ビーンレスコーヒーは「2050年問題」を解決できるか|FOOD Lab

世界中のコーヒー好きがその嗜好をますます磨き上げる一方で、コーヒー豆産地の危機が迫るコーヒー業界の「不都合な真実」。豆を一切使わないビーンレスコーヒーというイノベーションが進むなか、見過ごされている問題もある。
ビーンレスコーヒーは「2050年問題」を解決できるか
SimonSkafar/GETTY IMAGES, WIRED JAPAN

※シリーズ「FOOD Lab」のバックナンバーはこちら

2025年6月、ベルギーのコーヒー代替スタートアップKoppieがプレシードラウンドでの資金調達を行なったことがフードテック界隈で話題になっている。

この企業はこれまで技術開発や事業内容をほとんど公表しておらず、いわゆるステルス状態であった。Koppieがユニークなのは、多くの代替コーヒーがさまざまな植物を組み合わせて粉末にしてコーヒーを再現しているのに対して、単一品種の「豆」を使っていることにある。その土地にある豆を特殊な発酵・焙煎技術で加工して「コーヒー豆」のように仕立てる。そうすると、通常のコーヒー豆と同じように扱えるほか、混ぜて使うことも可能となる。

ここで思い出されるのが、植物性の代替肉スタートアップの代表格Beyond Meatや、Impossible Foodsだ。それらが開発したパテは、通常のパテと全く同じ見た目で、フライパンやグリルで焼く工程も同じ、ということが普及を後押しした。もしかすると、Koppieは代替コーヒーの新たな起爆剤となり得るかもしれない。

コーヒーはフードテックの宝庫

コーヒーはフードテックの宝庫である。その嗜好品としての特性がイノベーションを牽引してきた。2016年にシアトルで開催されたスマートキッチンサミットでは、コーヒーを淹れるときの温度がいかに大切かを熱く語る人物がいた。コーヒーメーカーのスタートアップのファウンダー、ジョー・ベームだ。

彼の立ち上げたBehmor社のコーヒーメーカーは、WiFiに繋がっており、スマートフォンのアプリにあるコーヒー豆の情報を元にコーヒーメーカーが完璧な味に抽出を行なう。朝起きてベッドにいながらスマートフォンを操作すれば、キッチンで完璧なコーヒーが出来上がっている、というわけだ。スターバックスのお膝元であるシアトルで勃興するコーヒーメーカー・スタートアップの存在と、ギークなこだわりを家庭で実現しようとするイノベーションに衝撃を受けたことを覚えている。

世界で最も有名なコーヒーメーカーといえば、ネスプレッソであろう。ネスプレッソがなくてはならないものになっている読者の方も多いのではないだろうか。ネスプレッソにはネスレ社の技術が集結している。業務用のエスプレッソマシーンと同じレベルの高圧抽出システムを備え、光や酸素、湿気を完全に遮断するアルミ製のカプセル、水温、水量、時間を完全に制御してコーヒーを抽出する。家電メーカーでもなかったネスレが技術開発していること、さらには「インスタントコーヒー」という圧倒的に安価で簡便なプロダクトがあるなかで、家電を使ってコーヒーという世界の奥深さ、そしてラグジュアリーさを広めたことがとても特徴的と言える。

コーヒーの抱える不都合な真実

日本の人口の7割以上が毎日飲んでいるというコーヒー。スターバックスが日本国内で急拡大したのが2000年代。シングルオリジン(特定の地域や農園の豆で栽培されたコーヒー豆)という考え方や、豆の挽き方にこだわりをもつ、米国西海岸発のブルーボトルコーヒーが日本初進出を果たしたのが2015年。こうしたコーヒーのサードウェーブという波に乗って、前述のBehmorやネスプレッソのようなコーヒーメーカーも拡大していった。

「こだわりのコーヒーの味」の美味しさに魅了されるコーヒーファンが増えていくちょうど同じ頃、コーヒー業界では、「2050年問題」が浮上する。国際熱帯農業センター(CIAT)の研究者であるクリスチャン・バンなどが2015年に発表した論文「一杯の苦いコーヒー(A bitter cup)」に、業界は衝撃を受ける。北緯25度から南緯25度の間のコーヒーベルトと呼ばれるコーヒーの産地において、気候変動の影響で、2050年までにコーヒーの栽培地が半減する可能性が指摘されたのだ。

気温上昇に疫病の発生、甚大な台風の増加などがコーヒー農園に襲いかかる。特に深刻なのはアラビカ種で、2012年の『National Geographic』の記事では、アラビカ品種が今後70年で絶滅する可能性が指摘されている。アラビカ種といえば特に味がよく、スペシャリティコーヒーに使われるものだ。このままではコーヒーの文化も消滅しかねない。

台頭するイノベーション“beanless”

こうしたコーヒー豆の危機が叫ばれるなかで台頭してきているのは、コーヒー以外の原料からコーヒーを開発する代替コーヒースタートアップだ。いくつか注目されているスタートアップをご紹介しよう。

2019年に創業した米国スタートアップのatomo coffeeは、世界初の豆を一切使わないビーンレスコーヒーを開発した。従来のコーヒー豆の香り、風味、口当たり、成分を分子レベルで分析し、デーツ種子やチコリ根など、数十種類の多様な植物でコーヒーと同じ化合物を作る、というアプローチで、豆を使わずにコーヒー粉を生産することに成功した。例えばデーツの種子は、デーツの加工過程で残渣として廃棄されるものをアップサイクルするなど、環境への配慮もなされている。2025年1月には780万ドル(約11億4,000万円)の資金調達を行なった。既存のコーヒーブランドとも協業するなど、市場を拡大している。

同時期に創業した米国スタートアップのminus coffeeも同様に、豆を使わずに多様な植物から分子レベルでコーヒーの酸味や風味を実現させているが、これには精密発酵技術とアップサイクル技術を活用していることが特徴的だ。

オランダのスタートアップNorthern Wonderも、多様な植物からビーンレスコーヒーを開発しているが、「熱帯原料ゼロ」を掲げており、atomo coffeeやminus coffeeとは一線を画す。ワーヘニンゲン大学とさまざまな植物の分子構造を共同研究しながら、フィルター抽出、エスプレッソ挽き、カプセルなど多様なフォーマットに対応している。冒頭に述べたKoppieのようなwhole-bean構造にする研究開発も行なっている。

コーヒー以外の植物からコーヒーを再現する以外に、細胞培養の技術にも注目が集まっている。豆を使わずにコーヒー豆の細胞をバイオリアクターで培養し、細胞バイオマスを収穫する方法だ。シンガポールのスタートアップAnother Foodは、細胞培養によって14日間で収穫できるシステムを構築しようとしている。これは従来の農業の20倍の速さだ。通常の小規模コーヒー農家が1年に収穫できるのは800kg程度だが、細胞培養であれば、15〜20トンの規模まで拡大できるという。チューリッヒ発のスタートアップFood Brewerも大型バイオリアクターの建設を計画しているという。

ビーンレス化で課題は解決する?

こうした代替コーヒーの開発は、コーヒーの明るい未来に繋がるだろうか。先進国の間では、コーヒーを飲み続ける手段が確保されるかもしれない。コーヒー以外の植物を活用するにせよ、培養するにせよ、カフェインの量を調節したり、味を調整したりするなど、これまでのコーヒー以上に機能性をもたせることも可能になりそうだ。

一方で、この動きはいわゆるコーヒーベルト地帯に住む小規模コーヒー農園にとっては脅威かもしれない。わたしの長年の疑問は、これだけ先進国でコーヒーが普及しているのに、コーヒーベルト地帯に位置するコーヒー産出国がなぜ経済的に貧しいままなのかということであった。

年々深刻化する気候変動の影響をもろに受け、品種絶滅で収入の危機にさらされるのが、まずコーヒーベルト沿いのコーヒー農家そのものだ。これで先進国がもう代替コーヒーで満足してしまえば、ますますコーヒー農家の収入は減ってしまう。つまり、これまでのコーヒー農家にとっても、メリットのあるトランジションでなければ、2050年問題を解決したことにはならないのではないか。

コーヒー農家の環境再生型農業への移行を積極的に進めているのはネスレだ。同社が25年7月に発表したのは、24年にその調達量の20%をサステナブル、あるいはリジェネラティブな農業実践者からにするという目標をすでに達成したということだ。ネスレによると、24年に16カ国20万人のコーヒー農家に、1,400人の農業専門家が環境再生型農業の研修を実施したという。

TechnoServeが9カ国で実施した調査によると、環境再生型農業に移行したコーヒー農家は歩留まりが改善されて収穫量が増え、収入が平均62%増え、コーヒーの輸出も増加、温室効果ガス排出量も年間350万トン削減できる可能性があることが示された。日本においても、タリーズコーヒー・ジャパンがコーヒーの2050年問題が言われ始めるずいぶん前から、コーヒー農家と実際に信頼関係構築をしながら調達を行なっている

UCC上島珈琲のウェブサイトによれば、文字によるコーヒーの記録は、900年頃アラビア人の医師ラーゼスによるものが最初であるという。人類は太古からコーヒーの奥深い味わいに魅了され、コーヒー文化を形成してきた。完璧な美味しさに抽出する技術を開発し続けてきたわけだが、今後はいかに豆を代替していけるか、同時にリジェネラティブな栽培技術も開発していくことによってコーヒーという農業をいかに強くしていけるかが問われていく。コーヒーのイノベーションは、多面的な技術の同時実装が求められているのだ。

岡田亜希子|AKIKO OKADA
UnlocX取締役・インサイトスペシャリスト。マッキンゼー・アンド・カンパニーなどコンサルティング企業にて、リサーチスペシャリストとして従事。2017年以降、フードテック領域におけるエコシステム構築活動にかかわる。グローバルフードテックサミットである「SKS JAPAN」創設および、その後の企画・運営に参画するほか、24年1月よりUnlocXにてフードテック関連のコミュニティ構築、インサイトの深化、情報発信などの活動に従事。共著に『フードテック革命』、最新刊に『フードテックで変わる食の未来』がある。『WIRED』日本版にも多数寄稿するほか、ポッドキャスト「Tokyo Rgenerative Food Lab」でもおなじみ。

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岡田亜希子らUnlocXと『WIRED』日本版でお届けする食と都市のリジェネラティブな探求。

Edited by Michiaki MATSUSHIMA
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